バレーボールにおいて、予め登録された守備専門のプレーヤー(リベロ)が、後衛であればレフト、センター、ライトのどの位置に入ってもよいという制度が導入された。その際、リベロが入る位置と重なるプレーヤーはベンチに下がることになり、リベロがベンチに退くときには、そのプレーヤーがコートに復帰する。なお、リベロは何度でもコートに入ることができるし、ベンチに戻ることができるが、ベンチに戻ってから、次に再びコートに入るまでには、一つのラリーを挟まねばならない。(仮に一つのラリーも挟まないでよいなら、ローテーションで前衛にまわるためコートの外に出たリベロが、即座に今度は後衛にまわったプレーヤーと交代する、といったことも可能となる。すなわち、一度コートに入ったリベロが、事実上その後ずっとコートに居続けるという戦法も生れてくる。)
 リベロは、サーブを打つことができないし、ブロックも禁じられている。また、ネット上端より高い位置にあるボールを相手コートに送ってはならないと決められている。こうしたことからみても明らかなように、リベロはあくまで守備専門のプレーヤーであり、このリベロ制の導入により、是非はともかくも、攻撃と守備の分業が大きく進んだといえるのではないか。
 さて、分業と聞いて、私がまず思い浮べるのは、野球の投手リレーである。先発、中継ぎ、抑え、と、野球のピッチャーにおける分業制は、もはや後戻りはできないと思えるほど進んでいるようだ。一口に中継ぎというが、これが一人であるとは限らない。最近では、松井秀喜に対する遠山(阪神)が馴染み深いが、相手打者が左バッターであるか、右バッターであるかにあわせ、それぞれ左投手、右投手を小刻みにつぎ込むという場面も、試合終盤にはよく見られる。左対左はバッターに不利というセオリーが根強いからである。私はそうした分業制を見慣れていることもあり、一九五九年の日本シリーズ、巨人を相手に杉浦忠(南海)が初戦から四連投、四連勝を飾ったと聞いて、大きな驚きにうたれたものだ。
 野球の小刻みな投手リレーについても、賛否両論はあるだろう。ピッチャーは完投してナンボ、とあちらで言えば、適材適所は勝利の方程式であるとこちらで言い返す。だが、注意しておきたいのは、投手リレーというものが、あくまでも長い歴史を持つ野球のルールのなかで行なわれている点である。
 野球には、一度ベンチに戻った選手はその試合、再びプレーすることはできないという規定があるから、どこでどう継投を行なうかは、ゲームの行方を左右する大きなポイントになる。高校野球では、打ち込まれた先発投手が、ベンチに下がるのではなく、レフトやライトにまわるという投手交代がまま見られる。先発投手に押し出されるかっこうで、そのレフト(もしくはライト)・プレーヤーはベンチに下がり、彼との交代というかたちで、二番手のピッチャーが登板する。そうしておけば、打ち込まれ色を失っていたエースに落着きを取り戻す時間を与え、再度登板させることもできるし、二番手の投手の調子が思わしくない場合の備えにもなる。それは、恐らくは先発投手よりもレフト(もしくはライト)の守備に優れているであろうプレーヤーをベンチに下げる(彼はもうその試合でプレーすることはできない)という危険と引き換えに、別のメリットを獲得しようとする戦術である。
 また、上記のバリエーションであるが、投手は遠山と葛西(阪神)だったと記憶している――。左、右、左……、とジグザグに相手打線が組まれているとき、最初の左打者との対戦を終えた左投手が一塁の守備につき、別の右投手が次の右打者と対戦、その後、左打者を迎え、一塁のポジションについていた左投手が再度登板するという奇手も生れた。いずれも、定められた制約のなかで、頭を悩まし悩まし戦術をあみだしているのである。
 一方、リベロをいつ投入するかに頭を悩ます必要などない。先述のとおり、リベロは何度でもコートに入ることができるし、ベンチに戻ることができるのだから。
 しかし、バレーボールにおいても、リベロ制の導入以前を顧みると、交代の時期に頭を悩ませるという場面はたしかにあった。
 リベロ制を脇に措いてみよう。スターティング・メンバーは、一セットにつき一回、ベンチのプレーヤーと交代することができ、また、そのプレーヤーと再び交代し、コートに戻ることができる。なお、ベンチのプレーヤーに認められる交代も、一セットにつき一回であるから、一度ベンチに戻った後、別のスターティング・メンバーと交代することはできない。これはリベロ制導入以前も以後も変わらない交代のルールである。
 したがって、例えば中心的なアタッカーを少し休ませるために、後衛にまわったときにレシーブの得意な選手と入れ替えようとしても、限られた一回の交代を一セットのどの局面で行なうのかという難しい問題があった。いまでは、リベロという制度を利用すれば、中心的なアタッカーは一セットの半分を休息にあて、攻撃に専念することもできる。制約の大きい従来からの交代のルールは、――いまでも、例えばサーブの得意な選手をゲーム終盤に投入したりする際はこのルールにのっとっているわけだが、――華々しいリベロ制の蔭に隠れてしまったようにも感じられる。しかし、制約が大きいからこそ、頭を悩ませる必要も生じ、ひいてはそれはゲームに綾を与えることにもつながるのではないか。リベロ制の導入により、バレーボールというゲームはひとつの大切な機微を奪われたような気がしてならない。


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