仕事で訪れたA市にある田んぼの中の「それ」は、遠目には公団アパートか学校に見えました。近づくにつれ、7〜8階のビルが数棟と、体育館のようなものであると分かりました。植え込みはきっちりと刈り込まれ、ゴミ一つなく手入れはされているけど、あまり人の気配はしません。一体なんだろう? 地元の人にきいてみると「ああ、これ。聞いたことあるでしょ。“エホバの証人”。あれの建物なんだよ。このビルも全部信者さんが自力でつくってさ。何人いるのか知らないけど、いっぱい人が住んでるはずだよ。日曜は集会でこのへん結構混むんだよね。」

 大泉実成著「説得〜エホバの証人と輸血拒否事件」(講談社文庫)は、近親者にエホバ信者を持ち、自身も中学生まで信者としての教育を受けた作者が、いわゆる輸血拒否事件として大きく報道された問題…交通事故で大けがを負った信者の少年の手術に際し、両親から輸血の承諾書が得られずその後少年は死亡してしまった…という事件を軸に、信者の生活を潜入取材を通して書いたノンフィクション作品です。
 ノンフィクションには、大きく分けて二通りあると思います。緻密で客観的な調査と分析力で対象を明確にしていくもの。もう一つは個人的体験や動機から書かずにはいられない、あるいは書かざるを得ない作品です。これは、まさに後者でしょう。
 この作品は作者の処女作ですが、一大学院生だった作者が発表の計画もなく調べ始めたものです。自身の少年時代を死んだ少年に重ね合わせてしまうつらい想いを抱きつつ、個人個人はまさに「いい人」の集まりであり、互いに助け合うつつましい暮らしの中で地道な布教活動をしてゆく信者達の生活と個人史を丹念に追い、自身も生活を共に体験していきます。
 取材の方法が、目的を隠しておなじみの勧誘に乗り、その少年の家族に近づくというものであったため、信者たち個人に対する親しみが増すにつれ、こんなにいい人達を騙しているという罪悪感と、団結がもたらす一面では反社会性といってもよい特殊性に対し、信仰を離れた作者が体験したからこそ分かる「このままでいいのか」ということばにできない感情は、20代だった作者の若書きであるからこそ、痛々しく訴えるものがあります。

 この本の出来事は、80年代後半で、まだ「カルト」という言葉も一般的ではなかったいわゆるオウム事件前に書かれたものであり、宗教団体が起こす事件への反応が、現在と比べると緩い感はありますが、日常生活を信仰に捧げ生活している人々が確かに存在しているという事実の重みには変わりはありません。
 作者は、これ以降カルト宗教・「消えたマンガ家」の取材や水木しげるとの一連の旅行記などの作品があり、サブカルチャー系のライターとして知られていますが、どの作品も精神世界を題材とした一種の危うさが根底に流れており、この「説得」の体験が時々顔を出しています。

 私が見たA市のように、教団を抱える街は全国にあります。
 山口文憲著「日本ばちかん巡り」(新潮社)は、こうした日本各地の宗教本部を取材したものです。この手の取材は、いろいろ軋轢があることが目に見え、芸術新潮に連載されていた時から「これはちゃんと本になるかな」と思ってはいたのですが、かなりの難航の末先頃ようやく出版されました。
 こちらは「説得」と比べると現世利益重視というか、宗教団体も人の集まりであり先鋭化したものだけでない、ある意味でいい加減な団体や信者も多くあることがわかり、何となくほっとさせます。しかしだからこそ学校や病院といった親しみやすい機関やイベントなどレジャー的要素を含みつつ、地域から根付いていくパワーを感じさせます。
 出世作である「香港・旅の雑学ノート」(新潮文庫)以来おなじみの充実した注釈と抑制の利いた文章は職人芸といえるでしょう。

 現在書店では宗教関係の本が多く並び、9/11以降報道がくりかえされていますが、両者とも今だからこそ一歩引いた目で読んでみる価値のある本ではないかと思います。

 付記:A市では、最近在日イスラム教徒のためのモスクが建設されたということです。


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