松浦検校の「仕掛け」〜「宇治巡り」を中心に〜



松浦検校は、なかなか一筋縄ではいかない作品が多いです。 たとえば、菊岡検校であったならば、その美しい旋律に自然に 身を任せるだけでも、ある程度、曲の形にはなります。 (もちろん、そうでない曲もたくさんありますが。) 松浦検校の場合、まず「曲の形」を提示するだけでも大変です。 これについて、私が考えていることを、 「宇治巡り」を中心にして、少しだけ述べてみたいと思います。

松浦検校は、今更述べるまでもなく、京風手事物の様式の基盤を作った人です。 そして、それゆえか、作風もかなり多様です。 その多様さというのは、石川勾当が技巧の限りを尽くして表現の幅を広げたやり方とも、 菊岡検校が、流麗な旋律を武器に多様な曲想の作品を作り、 時には意図的に古い時代の様式を用い、曲想表現の基盤を強化したやり方とも違います。 石川勾当は、松浦検校とほぼ同時代の人と推測していますが (その所以は、「若菜」と「八重衣」での類似旋律がどちらが先か明らかではないことです)、 様式を確立するには、石川勾当はいかにも寡作過ぎたのです。 歴史に「たられば」は禁物ですが、もし、石川勾当が相当量の作品を残し、 それが伝承されていたら、京風手事物の様式も若干異なっていたかもしれません。

少し話がズレすぎました。元に戻します。 ということで、実質的に京風手事物の様式の基盤を確立したのは松浦検校といって差し支えないと思い ます。

少し順を追ってみていきたいと思います。

松浦検校の初期作品と考えられるものの筆頭は「深夜の月」、そしてそれよりやや遅れて「末の契」だ と思います。 「深夜の月」の箏手付が、八重崎検校ではなく、浦崎検校であることだけではありません。 京風手事物の二大特色と私が考えるのは、箏手付を前提とした「掛合い」の存在と、 「本手事」の開始が追い拍子(箏が先に出て三絃が裏を刻む形)であることです。 「深夜の月」においては、一応掛合いはあるのですが、一般的な掛合いは、三絃のフレーズに 箏が応える形なのに対し、逆の形、つまり箏のフレーズに三絃が応える形になっています。 そして、手事は追い拍子で開始されず、マクラもチラシもなく、二段からなる段構成になっています。 これは大阪の手事物の大きな特色の一つです。 また、もっと重要なことは、どうやら三絃二挺による合奏が行われた形跡さえあることです。 葛野端山著の『絃曲大榛抄』には、そうした形式の楽譜が示されています。 これも大阪で好まれる合奏形態です。 まだ、先人の形式を受け継いでいる部分が大きいことがわかります。

そして「末の契」。これも完全には八重崎検校の箏手付ではありませんが、 現在に伝わるのは、浦崎検校と八重崎検校の箏手付の合成と考えられています。 曲の形式を見てみますと、ツナギとマクラのある手事物であり、 本手事は上述の追い拍子で開始されます。ただ、萌芽的段階ですね。 そして、掛合いも、一般的な掛合いの形になっています。 一応、この「末の契」をもって京風手事物の基本形式はできつつあります。 ここにチラシが入れば、完全に一般的な京風手事物の形式ですが、 ここから先はかなり推測的になりますので、とりあえずここで区切ります。

松浦検校の旋律の特徴と私が考えているのは、一区切りついた後、もう一溜めすることです。 わかりやすい例を挙げますと、「末の契」や「若菜」に頻繁に出てくる、 旋律が区切りがついた、と思った後、その一音下に下がって、また元に戻る、という形、です。 これは、後にポイントになる部分です。

まず、前唄において、2つの要素から考察してみたいと思います。


1.「様式」を知れば知るほど面白くなる曲作り

前置きがどうしても長くなってしまったのは、「様式」というものを熟知していることが 前提でなければ、松浦の「仕掛け」が理解できない部分があるからです。 実際に地歌を演奏される方、好んでよく聴かれる方、 初めて「宇治巡り」の冒頭を聴いたとき、「あれ?」と思うはずです。

「万代を」の後、三絃のテンツトンの後にでてくる「イ一 一 二」の音形。 「宇治巡り」は最初は本調子で出ますので、宮音は二の糸の開放の音になります。 「イ一 一 二」の音形で不自然なのは、一と二の糸の開放を弾いた後、 普通は転調のために「三」を弾くのが普通なのですね。 ところが、「イ一 一 二」だと、宮音は変更されていません。

(1) 転調の「様式的音形」から外れていること
(2) 宮音が変更されていないのにこの音形だと、きわめて不安定なこと

この二つの点で、かなり異常なフレーズと言えます。 ところが、様式的音形や、宮音が現在どこにあるか意識していない場合、 この意表を突かれた、という感覚は起こらないと思います。 ここが「様式」を知れば知るほど面白くなる、という松浦検校の作曲法の一つの例なのです。

さらに曲が進み、「賑はふ袖の」のところで、典型的な様式的音形ではありませんが (これは曲の速度が増しているためです)、「イ一 三」と出て、ここでは実際に転調します。 お分かりだと思いますが、ここは実際には「イ一 一 三」という転調時の様式的音形から 二の糸の開放を省略した形なのです。ですから、実際に演奏で音を出さなくとも、 「三」の音の前に「一」が存在している、ということは忘れてはならないわけです。

この二つの部分を比べて、考えてみてください。 本来あるべき「賑はふ袖の」の部分では「一」を省略し、 「万代を」の後の「イ一」から「二」へ移るときには必ずしも必要ないばかりか、 意表を突くような「イ一 一 二」の音形にしている。 この面白さを十分に味わうには、京風手事物の語法に十分なじんでいる必要があります。

さらに先に進みますと、「霞を分けて」のところで、再び冒頭の 「イ一 一 二」の音形が出てきます。 こうなってくると、どういう転調を仕掛けてくるか、本当に相当の緊張感をもって 当時の人々は聴いていたと思われます。 実際、「千歳障りもなしむしに」の最初の部分は「イ一 一 二」、 「なしむしに」の直前では「イ一 三」と出て、惑わせることこの上ないのです。 しかも効果はそれだけではありません。 これだけくり返しこの二つを使い分けることによって、 曲の構成の「核」が自然に出来上がってくる効果もあります。 そして、前唄の最後は「一 イ一 イ四 一 ス」で終わります。 お分かりですね、ここでの核は「イ一 イ四 一」です。 冒頭いきなり不安定に始まり、さまざまに聴き手を惑わせ、最後の最後で 本調子での宮音への終止の基本音形の一つで終わります。 それは冒頭の音形のヴァリアンテ、いや、逆ですね、前唄をこうやって締めくくるので、 その終止音形のヴァリアンテを「核」の一つとして構成した。 ここまでくると偶然と考えるのは不自然です。 といいますのも、松浦検校がこのような「仕掛け」をしているのは、 なにも「宇治巡り」に限った話ではないからです。

ちょっとここで話題が飛ぶことをお許しください。 西洋音楽で、音楽が市民階級のものになるのはおおよそベートーヴェンの頃で、 必ずしも音楽の約束事に詳しくない聴衆が相手でしたので、 ベートーヴェンの作品は大げさな身振りが必要でした。 なので、わりと初心者でも「おおっ!」と驚くことができます。 それより以前の時代、たとえばハイドンの中期ころまでは、 音楽の知識が豊富な貴族が聴衆でした。 意表を突く「仕掛け」は、約束事から、ほんの少しズレているだけで十分なのでした。 ハイドンの作品は、最初はみな同じような作品に聴こえるかもしれませんが、 古典派の様式や慣習的語法を前提に聴くとき、その工夫のスマートさ、 尽きせぬ工夫で飽きることがない宝の山になります。 そばを食べたいなあ、と思ったとき、ハイドンが出してくれるのは そばの産地、製法、だしの取り方、などにとことんこだわった食事、 モーツァルトは、もりそばを頼んだのに天ぷらそばを出して驚かせるような食事、 ベートーヴェンは、さあ俺の最高傑作の激辛ラーメンだ、食べろ、というような食事、 と、いうような喩えがありまして、少々オーバーですが、そんなに違っているわけでもないのです。

ここでお分かりだと思いますが、松浦検校の作品の提示の仕方というのは、 かなりハイドン的なところがあるわけです。 表面的になんということもない、と思われるところで、実はいろいろ「仕掛け」をしているわけです。

当時の遊郭という場所は、あらゆる文芸に通じた趣味人の集う場所、 19世紀末ヨーロッパのサロンのような場所です。 また、職屋敷などでの演奏披露でも、当然知識豊富な聴衆相手です。 ですので、こういった作曲方法が通用したのでしょう。


2.「春風に」の後の「一 イ四C [イ五一]」に見る自己パロディ

松浦検校の旋律の特徴として、上述のとおり、旋律が終止した後、もう一溜めすることがあります。 「春風に」の部分でいいますと、「テンツトンウテン」の後に「ツウンシャン」ともう一溜めあります 。 これが上述の「その一音下に下がって、また元に戻る」ということです。 前唄での「核」の一つは、宮音への上行終止音形とそのヴァリアンテであることは「1.」で見ました 。 ここでまたもう一つ見てみます。

このすぐ後、「寿添へて」の部分でも「一 イ四C 一」と出てきます。ここでは後にすぐ旋律が続くので アワセではありませんが、「春風に」の後の「一 イ四C [イ五一]」から派生したことは明らかです。 ここでは、「ツルンツテンテンツテン」と宮音で終止します。 ちなみにこのあと「1.」で見た「イ一 三」の音形へとつなぎ、転調します。 この部分で何が面白いかというと、松浦検校自身が、旋律を終止するときの典型的な 「もう一溜め」の部分だけを抜き出し、そこから曲想を展開していることです。 ギョーム・ド・マショーに「わが終わりはわが始まり」という曲があるのですが、 その曲名ではありませんが、まさに「終わりから始まる旋律」なのです。 これは松浦検校自身でないと意味がないことはおわかりでしょうか? こうした「もう一溜め」が終わりの特徴である松浦自身がこうした作り方をしているからこそ ユーモアがあるわけなのですね。つまり自己パロディです。 ちなみに、「初昔」の直前にも「一 イ四C 一」は出てきまして、 ここでは「合」を導き出します。 一つは転調、一つは「合」を導き出すという重要な役割を、あえてこの 「もう一溜め」の部分に担わせているというのは、いかにも面白いと思われませんか?

京風手事物様式は松浦検校作品を徹底的に練習・鑑賞することで その基本が習得できるタイプのものであるというのは、 このの小論で見た通りで、その様式を熟知していることを前提に さまざまな「仕掛け」が施されていることからお分かりいただけると思います。 その意味で、昨今、松浦検校作品が一部の作品を除いて ほとんど舞台にかけられないことは思った以上に危機的状況であるといえると思います。

「宇治巡り」はあまりにも大曲であり、実は前唄だけでももっと色々隠された「仕掛け」があるはず なのですが、細かく検証するには時間が足りませんでした。申し訳ありません。 しかし、実例として提示した以上2点をヒントに、みなさんも、松浦検校の「仕掛け」に挑戦してみま せんか?



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